ほとんどシングル。

未婚同居からの2女児のシングルマザー。「ほぼ」ノンフィクション。脚色あり、愚痴あり。

こんばんにちは。
読んでいただいてありがとうございます。

チチとの暮らしですっかり自信喪失してしまった自尊心を立て直したい
という思いからはじめたブログなのでどちらかというと基本被害者目線です。

シングルマザーの一般論では解決できない事情、
子供の父親や血族に対する想いを綴っています。
明日を笑って過ごすため。母が元気でなくては子も元気になれず。
自分の選択に自信を持って日々暮らすためのごくごくプライベートな日記です。

※過去を振り返りつつ日常も綴っていく方式で投稿していますので、タイムラインが滅茶苦茶な部分もあります。(随時修正)

読んでいただいている方は疑問に思っている事でしょう。

なんで別れないの?

と。

当時の思いはこんな感じです。
  1. 娘1が生まれたら何か自覚みたいな物が生まれて立ち直ってくれるのではないか
  2. 娘が不憫な思いをするなら私が我慢したらいいのかな
  3. 仕事上のパートナーとして投資分は回収したい
  4. 業務的に一人でやっていくには当面難しかった(安月給で雇える )
  5. 私にはない頭のキレは参謀としては惜しい

今となっては別れられない言い訳にしかなってない…。
母親としては情けない限りですね…。
時間を追うにつれ項目は増えたり減ったりするのですが
自分も独立したばかりだったし、 初めての妊娠で不安だらけでした。

わたしの両親はともに年金の受給もなく、共働きしています。
産婦人科に行って、出産する事を伝えて妊娠届けを出すまでには
相談もできずにいたのです。 

女の本能(感情優先)と、仕事人(リスク回避優先)としての狭間で
揺れ動いている間に時間だけが過ぎていくのでした。

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もやもやしてても日々は過ぎていくし
なんかこっちから「どうするの」みたいな話は
したくなかった。

だって
最終的には自分が決断することだと思ってたから。

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とにかく自分の身の回りの事は一切やらない。
靴下は寝床の足元に転がっている。
風呂に入る時着替えは用意するのに脱いだ服はその辺に置く。

お腹が減ってもカップラーメンのお湯すら人に頼む。 
しかも「お腹減らない?」と同意を求める。

いやいや、手が離せないからカップ麺でいいからお願いできない?
と言えませんか?その便乗商売みたいなのやめていただけません? 

当時は食い扶持の通常作業と並行して立ち上げの業務を行っていたので
家に帰る暇もなくほとんど泊まり込みで合間を見てコインランドリーとか
実家の洗濯機を使って溜まった洗濯物を処理していました。
(なぜか事務所に風呂とキッチンはついていた)

カゴにいっぱいになった洗濯物を運び出す姿、見えませんかね?
プラス帰りには食料を買い込んで来て車と何度も往復している姿、見えてませんか?
あなたの洗濯物もこってりあるんですが。

妊婦なんですが。

相変わらず「病院行かないの?」と言うばかりで、説得力のある言葉はなし
せめてもの心配りも感じず、私はどんどん不機嫌になり、
チチは震災で受けたダメージでほぼ引きこもり状態。

一緒に商売をやる事すら後悔し始めたものの
すでに事業資金の融資も受けたし、機材を購入してしまったりしていたので
そうもいかず、 チチの態度に関しては様子を見るしかないだろうと半ばあきらめモード、
兎に角私は無事に出産を終える事を目標に粛々と周りを固め始めました。

  1. 収入の確保
  2. 両親の説得(この時点では報告もまだ)
  3. ひとり親家庭についての情報収集
  4. 何とか仕事以外で縁を切る作戦はないのかアタマをひねる 
まずはこの優先順位を意識して日々の決断と行動をしていく事をココロに決めました。
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チチは私とやっている仕事の他に事業をやっている。
出会ってから色々と聞かされてきたけど
特に私に影響を及ぼすものではなかったので 気にせず過ごしてきた。

実際そんなにアクティブに関わっているようには見えなかったし
「現場からは離れていて顧問とか理事長みたいなポジション」
と言っていたので「ふーん」くらいに思っていました。

チチはそれなりに利益を得ていたみたいだけど
その収入は前の家族に養育費として納めていたみたい。

大きいお金が動くような話もしょっちゅう聞かされてたけど
そういう話を聞くたび、常に思ってました。

ねえねえ、手術費用は???
今の話を聞く限りこのくらいは大した額じゃないよね?
その話は本当なんですか?

まあ、自分といっしょにこれからやっていく事で利益出してくれりゃーそれでいーや
とも考えていたのでイラッとしながらも聞き流してました。

そしてあの日、東日本大震災でチチが関わる会社の工場と事務所が被災しました。
ニュース映像を見るたび映画を見ているような感覚で
ツイッターの画面は震災の話題と電力不足とボランティアをネタにした
チェーンメールみたいなのと反原発派のヒステリックな発言で溢れかえっていました。

もともと言動に疑問があったチチですが、この日を境にますます私の不信感は大きくなっていきます。

この東日本大震災で、チチはかけがえのないパートナーを失ったのです。
ノイローゼのような状態になったチチと
妊娠初期で不安定な私、モヤモヤした日々の始まりです。


 
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妊娠してこんなにも自分の体と心に
変化が起きるものなんだと驚くばかり。

だけどその頃は自分の体と心の変化に気づく余裕もないまま
新しい職場の環境整備と事業に向けての準備の作業に追われる日々を過ごしていました。

 「病院行かないの?」
の台詞を「今回も諦めて」としか受け取れなくなってしまった私は
無言でやり過ごすくせがついていました。

もうこいつはアテにしねーぞ。

ひたすらそう思っていました。
性格的に顔に出るタイプなので相当ムッとしていたと思います。
チチは色々と納得させようと事情を話していたような気がしますけど
その頃は全く聞く耳を持たない状態になっていました。

女性ホルモン恐るべし。

そんな日々を過ごしている間にあの日を迎えます。
3.11東日本大震災です。 
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予想通り「今はちょっと待って欲しい」との返答。

やっぱりな。(心の声)

チチはバツイチ。
確かその頃離婚後1年半か2年くらいだったかな。

そもそも私と男女の関係にあることすらも
別れた奥様にはバレたくない状況だったみたい。 (そりゃーね)
残してきた娘さんはまだ小さくて、
その事で娘さんに会わせてもらえなくなるんじゃないかって不安だったんだね。

しまいに子供を引き取ったらどうなるかな〜
なんて仄めかす始末。

おーーーい。あんまりにもデリカシーないんじゃね?

お付き合い始める前に「子供が大きくなるまで結婚はできないよ」
と宣言されてた(結婚なんて私は考えてもいなかった)ので
私はそういう事情もわかった上で一緒にいたんだけど、
生まれて初めての妊娠・中絶が私に与えた影響はかなりのものだった。
 
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やっと仕事場も決まり、着々と準備を進めてほどなく
なんか変だ…。

セ・イ・リ・ガ・キ・マ・セ・ン 

え、ちょっと待ってって
実は私、前回が人生初の妊娠体験。

自分の事妊娠できない体質なんだなと
子供は諦めて仕事に生きていくとぼんやり思っていたのに。
お恥ずかしい話ですが、人生これまで避妊もテキトーにしてました(汗)
正直まぐれみたいなもんだと思ってた。
それなのになんだこれ。

チチの子孫繁栄能力が高いのか??
どうしたことか。

検査薬は陽性反応。

悶々とした日々を過ごしても仕方ない。
またしても産婦人科へ。

この度は前回とは別の近所の医院へ。
そこはお産をしていないらしく、
この前とはまったく雰囲気が違いました。 

案の定、診察は「おめでた」
やっぱりな、んーどうしようと思いつつ、
この時私は「少し考えさせてください」と言いながらも
本能の部分でこの子は私が一人ででも育てると決意していたのでした。

この時点ですでにチチに対する信頼はなかったんだろうな。
チチがなんて言うかわかってたんだと思う。 
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当面の仕事を確保し(前の職場から引っこ抜いてきた)、
新しい事業に向けて着々と準備を進めて目まぐるしい日々を送っている間に
あの日の悲しい気分はどこかへ消えたかのように思って過ごしていた。

実家の狭い一部屋の片隅にカラーボックスと
小さいテーブルでこしらえた作業スペースで黙々と書類を作ったり
ロゴを考えたり、物件を探したり、予算を組んだりデータ整理したり。 

合間には前の職場のゴタゴタを片付けたり、自己嫌悪に陥ったり。
(人を管理する立場にいたが部下をほぼ道連れ状態にしてしまった)

別のテーブルではチチが同じく物件を探したり、必要機材をリストアップしたり
企画書らしきものを作ったり、twitterしたり誰ぞにメールを送ったりしていた。 

打ち合わせに出張へ行ったり、逆にこちらへ来た人と会って今後の話をしたり。

とにかく忙しくて、気が付いたら年は明けていた。

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悲しかった。
あまりにも悲しかった。

術前の診察を受けて処置を受ける間
涙を隠すので必死だった。

術前処置の痛みは私に色々な事を考えさせた。
その時の気持ちははっきりとは思い出せない。

正直たいした事ないだろうと思っていたのに。
この悲しさはいったいなんなんだろう。 

出産を経験後の今なら
私の頭とは裏腹に
お腹の子供と一緒に
「母性」は確実に育っていたんだな。と思う。
 
麻酔が切れてお腹が痛くて痛くて
迎えに来てもらってからも話す事が見つからない。

しばらく立ち直れなかった。 
そして手術費用の折半分も未だに受け取ってない。 
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出会って半年、妊娠発覚。

その時は前職場をやめる辞めないでゴタゴタしていた事
次の仕事の目処がまったく立っていなかったので
精神状態、経済状態も不安定、
チチの方も身辺整理が諸々できていなかったので
自らの意思で子供を諦めるという決断。 

ほとんどお世話になった事ない産婦人科
(しかも出産で評判のいい医院へ行ってしまった)
では幸せそうな妊婦さんも多く、入った時から気持ちはブルー。
ただし、自分の意思は固まっていたので迷いはありませんでした。

診察室で自分の意思を迷う事なく伝えると
先生は厳しい表情で私を叱ってくれました。

今思えば「そりゃそうだ」と思うものの
その時は自分の事でいっぱいいっぱい、
経済的な不安だらけだったので「仕方ない」と
自分を納得させて予定を粛々と決めました。

手術日当日
チチ「具合が悪いから今日は送れない。帰りは迎えに行くから」
私「いいよ。寝てたらいい」

手術費は折半、今後は避妊をするという約束はなんだったんだ。
思えばここから私が頑なになる事、意地を張る事を始めたんだろうな。

ちなみにこの頃チチは私の自宅(私の両親と同居)に入り浸っていて、私が留守でもおかまいなし。
冷静になれば色々とおかしい部分はあったはずなのに
新しく商売を始める事で前しか見てなかったのと
全職場のドロドロから抜け出した事で
チチとは「これから」という気持ちがあったので
状況が変われば改善していくものだと思い込んでいたんだよね。

(2)へ続く
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